【全大名家攻略 Part.6 予告】龍造寺家で攻略

投稿日 12/28 18:00

今回から、年末年始をかけて龍造寺家でプレイします。
12/29から毎朝6時に記事を送ります。朝起きたらすぐ読めます。

暇があるときは18時にも送ります。

前回は4時だったのですが、ちょっと早すぎだったかもしれないので6時に変更。

下隣の下蒲池家のほうがネタも多くて良かったんでしょうけど。龍造寺。なんか厨二心をくすぐりそうな名字ですね。龍造寺家とは?(以下Wikipediaより引用)
出自には諸説があって定かにされていないが、藤原秀郷8代孫の藤原季善が仁平年間に肥前国佐賀郡小津東郷内龍造寺村に入り、地名から龍造寺姓を名乗ったのが始まり。藤原道隆の流れを汲むとされる草野季貞の子孫とする高木季経の次男の高木季家が、季善の養子となり南次郎と称した。その子は南三郎を称した龍造寺季益である。

後に数家に分かれたが、室町時代末期から戦国時代にかけて本家である村中龍造寺氏が当主の若死などで衰えたため、水ケ江城に拠った水ケ江龍造寺氏が最も力を持った。嫡流は、通字をおおむね「家」としている。

肥前国佐賀郡の国人として古くは九州千葉氏に仕えていたが、室町時代後期に千葉氏に代わって肥前の守護として北九州に勢力を張った少弐氏の被官となった。1530年、水ケ江城主龍造寺家兼が田手畷の戦いで周防の大内氏を破ってから少弐氏からの自立が進み戦国大名としての道を歩み始めた。この龍造寺氏の勃興は、九州ではほとんど見られなかった下克上の数少ない例と言えよう。1535年に主の少弐氏を裏切り、大内義隆に通じて主君の少弐資元を自害させて大内氏庇護のもとに独立した。しかし、1544年に龍造寺氏の主君殺しと下克上に義憤を感じ、またその拡大を恐れた馬場頼周を中心とする少弐氏重臣達の調略に敗れ、一族の多くを殺害されて、龍造寺氏の勢力は一時的に壊滅した。

生き残った龍造寺家兼は筑後の蒲池鑑盛の元に逃れ、鑑盛の保護を受ける。蒲池氏の援助を受けて家兼は再起をはかると、1546年、馬場頼周を討って龍造寺氏を再興した。同年、93歳の高齢で家兼が死去し、曾孫の龍造寺隆信が後を継いだ。隆信もまた一族の内紛で肥前を追われて筑後に逃げ、家兼と同じく蒲池鑑盛の厚い保護を受ける。約2年にもわたる蒲池氏の支援により龍造寺隆信は生き延びることが出来、また再起出来たのである。

とのこと。

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初期は1城大名だが、8万2000石の石高を持つ良い城である。当主は龍造寺隆信。彼と、宗家出身の龍造寺家就の2人が初期武将。

下蒲池家・大内家と不戦同盟、少弐家と宿敵関係である。

大友家がでかく、しかも真っ先に狙ってくるので、早期の肥前統一が必須。そして、大友を正面突破で崩す。

【目標】
大友が伸びる前に肥前を平定します。

では。

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