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片手間にまわしてたペナントシミュレーションが50年経過。最近更新がないので、1つのバージョンをずっと続けていたらこうなった。

50年間の成績を計算してみる。

ちなみに自チームLは今年3位だった。
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200勝5人(初期なし1人、以下単にカッコのみ表記)。なお190勝台が3人(1人)、180勝台が5人(5人)。史実同様200勝の壁は高いです。
最多198勝も奥村が引退年2勝で能力860、近藤も同2勝で最終能力891だから晩年はファンから老害扱いされた挙句の引退だったのかも。
あと、180、170台含めて、某90年代の西武の大エースのような勝ち星の潰され方でもしたんでしょうかね。

ちなみに最多の西原新志は高卒1年目だし1年目出場なしだしもう非初期選手扱いでもいいよね。
やっぱり現代の200勝は昔の250勝に匹敵するくらいであり、2000本安打よりも大変である。その中で263勝を上げた西原は300勝クラスに匹敵する?
なお、西原はメジャー153勝を上げている。当然、当球界1位の成績であり、野茂英雄よりも30勝多い。

現役では犬伏が188勝、大河が181勝(うちメジャー57勝)だが、ここ数年の能力低下が著しく、犬伏は前年から聖域枠にいるものの今年4勝13敗を叩き出している。能力的には両者ともまだ1000台だから、-100クラスの能力低下が無い限り、可能性はある。

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投手のセーブ数である。200勝に対して250セーブ多すぎやしませんかね。250セーブは計21名(17名)、300セーブは15名(12名)、400セーブは5名(4名)。
実際にも、セーブの名球会記録を300セーブにすべき、という声もありますからね。

100勝100セーブとかはめんどくさくなるので省略。

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奪三振と投球回。相変わらず西原さんは別格ですね。

チームの情勢に左右されやすい勝利数に変わって、新たな名球会の条件の一つにすべき、ともいわれる奪三振と投球回。こっちのほうがむしろ暗黒時代のエースに有利だったりすることもある。

例として、かつては西原と同期であり、ゲーム開始当初は彼と並ぶ若手のエースだった明智鳴雄を紹介する。

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彼も西原とは負けず劣らずの能力であるが、156勝160敗と、負けが先行している。今年(投稿当時)引退を表明した某ハマの番長にもいえるが、低迷期のエースというのはどうも勝利数では報われないのである(某鳶や某1000000000000児は時代背景が違い別格としてもだ)。

そこでだ。2000投球回や2000奪三振なら現代でも十分狙える数値でもある。これも将来的には認められるべきではないのか?・・・とはいっても、某400勝投手とかV9厨とか(某400勝投手は名球会から追い出されたものの)そのへんがなかなか認めなさそう。あとどこからを対象にするのかもで。

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打って変わって今度は打者の安打数である。2000本安打は計31名(22名)もいる。うち2500安打以上が8名(6名)、3000本安打以上が4名(2名)いる。
かつて「チームDのMr.マシンガン」と称された東野宣好の安打数を上回ったのは、卜部満ただ一人である。彼は、通算本塁打の日本人記録(当時は球界記録)、及び通算打点の球界記録も持っている。詳しくは後述。

名球会に最もあと一歩だったのが、1994安打で引退したチームFの長距離砲、柏原育志である。しかし、彼も最晩年の安打は2本である。19年間チームF一筋だったが、もしDH制のセカンドリーグに移籍していたら2000本安打も夢ではなかったかも。

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本塁打。長らく卜部が最多の記録だったが、2052年にゴメルスキーがそれを抜いた。彼も最晩年結構打っているのだが、某貞治のように、相当な余力を残しての引退となった。卜部も結構余力を残したが。

なお、名球会入りしていない選手で最多本塁打を放ったのは416本の柏原。

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打点。1000打点越えは計34名(25名)。なお卜部でも王には敵わない模様。



ということでした。

多分次は100年であげようと思います。