災害が多発しやすい地域には、共通する名前が存在する。
地名から分かる災害リスクに詳しくは載っているので、そちらを参照。例として、「谷」「川」などのわかりやすいものから「野毛」などといった一見するとわかりにくいものもある。
先人たちは危険な地域にこのような地名をつけて、災害のリスクを認識してきた。
そもそも町というものは川沿いの平野・谷に多く存在するので、災害を完全に回避することは不可能だろう。しかし、その中でも台地や地盤の安定した地域に住むことで、被害を未然に防ぐことは可能だ。なお、川沿いの低地はそのリスクがある反面、地価が安いというメリットもある(そういう所を選ぶ住民のリスクもないわけではないが)ので、必ずしも台地に住まなければならないというわけでもないが。
しかし、古来の地名が次々と「希望が丘」や「見晴らし台」などの当たり障りのない地名に変えられ、その地名を認識する機会は減ってきたのではなかろうか。そういった地名は、不動産業者や市町村がつけたもので、いわば「商品」である。商品である以上は、できるだけよく見せるのが必然であろう、そういう不穏な地名はつけられまい。
しかし、これから紹介するサイトであれば、そういった古い地名も一発でわかってしまうだろう。時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」は、古地図と現代の地図を比較することのできるサイトである。

このサイトは埼玉大学教育学部の谷謙二氏によって作られ、2017年5月現在、12の地域の地図を閲覧することが可能だ。
このサイトではいくつか例示してみる。

まずは、1928年~1945年の、相鉄希望が丘駅前だ。現在、この地域は区画整理され「東希望が丘」「中希望が丘」などといった安直な地名にされてしまったが、区画整理される前は「春之木」という地名だった、ということがわかる(念のためにいっておくが、戦前までは横書きは右から左に書く非常に左利きに優しい社会だった)。

次に、飯能市名栗(旧・入間郡名栗村)の地図を出してみよう。
(2017年)現在、同地は上名栗・下名栗の両大字のみが存在するが、この1880年の時点ではバス停名にもなっている小字が残っている。
このように、このサイトで自分の住んでいたところの昔の地名を知るのもいいかもしれない。
※このサイトで使われた地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
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