【Simutrans】北の大地開発記 Part.3

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1905年9月・・・

鉄道省は、最大の危機に陥っていた・・・


鉄道省線を長万部から倶知安・小樽方面に延伸するのは規定路線となっているが、直通路線をどう運転するかで鉄道省が分裂してしまったのだ。

1.江差本線を経由し山越えで八雲へ向かう(守旧派)
2.亀田鉄道と連携し、亀田経由で八雲へ向かう(協調派)
3.亀田鉄道の木古内~亀田間を鉄道省に移管し、亀田~八雲は共用とする(部分協調派)
4.亀田鉄道の木古内~八雲間を買収し、幹線にする(買収派)
5.いっそのこと江差から熊石・瀬棚と海岸部を経由して延伸する(新線派)

基本的に、主流派は2.である。1.を推してるのは、木古内・江差の地盤沈下を恐れる地権者である。
また、他社と協調するのは鉄道省の恥だ、という社員も少なくはない。彼らは、3.か4.を選択するであろう。

当時は、木古内町や江差町は大都市であり、また、ターミナルでもあった。対し館函村や亀田村は新設された一介の小都市である。急行八雲の廃止に猛反対した彼らが、易々と応じるわけがないのだ・・・


結局、2案を採ることとなり、ひとまず上磯までの国営化が進んだ。

また、反発した江差町系の社員は、上ノ国駅~江差~東熊石信号所の鉄道線を接収し、「鉄道省江差派」を名乗った。また、江差派は、主流派を「亀田派」と呼称したのであった。

また、省鉄江差本線の系統も変更され、

省鉄江差線:上磯~木古内~上ノ国
省鉄江差本線:上ノ国~東熊石(江差派は木古内~八雲全線の領有権を主張)
省鉄梶屋敷線:東熊石~八雲~長万部

というように分割された。

なお、江差駅構内は省鉄本社が抵抗した後、公共化され南部を江差派が、北部を亀田派が所有することとなった。

これに伴い、
・準急「八雲」が東熊石止まりに。
・江差線各駅停車が上ノ国止まりに。
・「リレーえさし」が東熊石~上ノ国で運転。

とされ、江差は不遇な末路を辿っていってしまうのだった・・・

つづく

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