【過去タイトル】停車駅論について語ろう。

※この記事は沼鉄開発記の記事をベースとしています。
(2019.1.13)
画像修正と追記を行いました。

例えば、西武新宿線を例に出そう。
宿高落中薬沼野都鷺下荻上石武伏柳無花小久村所航沢入狭山南川
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上から、急行、快速急行(全盛期)、快速急行(劣化)、快速急行(新所沢以北各停)である。

とりあえず、田無以東においては、優秀な停車駅である。
田無以西が各停なのは元西武沿線住民としてはいただけないが、元々沿線人口の少なさ(東横路線比)もあるし、駅間もあるのでしゃーない。

個人的には新所沢以北各停なんて非常にいらないとは当時思っていたし、そんなことするなら小平停車のほうがまだまともだったと思う。おそらく特急との競合もあったのだとは思うが。

次に、兼ねてから問題視されている東急東横線も出してみる。

渋代中祐学都自田多丸武元日綱大菊妙白東反横新み馬通元
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上が急行、下が特急である。(特急の▲は通勤特急停車駅)
急行の不甲斐なさ(?)を特急でカバーしている。まさしく東横特急様様である。
Fライナーの設定により、上を準急、下を急行と見ればそう悪くはない。

ちなみに副都心線は
和成赤平氷向千要池雑早東三参明渋
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であり、明治神宮前の急行停車を吟味してもそう悪くはない。

だが、東横特急が誕生したのも、湘南新宿ラインという大ライバルができたのが最大の要因である。結局は湘南新宿ライン様様である。

湘南新宿ラインの誕生で東横線が大きく変わったように、ライバル鉄道との競合は時に大きな変革をもたらす。もし北関東(含北埼玉)に巨大なライバル鉄道が存在していたら(東武とJRが併走していたら、または東武でも東上線系統も群馬県内に路線網を盛っていたら)、群馬・栃木県内でも快速運転していたかもしれないし、東海道本線の小田原以西のような構造になっていたかもしれない。東武宇都宮線とかいう末端扱いされる路線は論外としてもだ。

↓以下申し訳程度のシムトラ要素

さて、話をシムトラに移そう(カテもシムトラだし)。

前のブログでかつて開発していた沼津鉄道だが、結構いろいろ苦労している。

simscr07.png
一応参考のため地図を貼る。

touhou.png
まずは、東方電鉄から見てみよう。

武田尾以東(沼津~武田尾)が通勤区間であり、拡張区間である武田尾~川辺・中畑が郊外区間である。

東方電鉄は西武風の停車をモデルにしており、主要駅停車の急行・快速急行と、主要駅ではないものの需要の大きい区間を通勤急行・通勤準急で補っている。

そのため、各駅停車の終着駅である「神社前駅」までに、粟野・さなえヶ丘・真倉の3駅が主要駅としてあるものの、通勤急行はさなえヶ丘・真倉駅を、通勤準急は粟野駅を通過している。ちなみに、かつては通勤急行は神社前以西各駅停車だったが、準急と競合し補正系統としての兼ね合いが取れなくなったため通過運転にした。

ainan_old.png逆に、改正前の愛南鉄道である。かつては愛南鉄道も同様の千鳥停車を行い、停車駅を分散させていた。しかしこれでは、遠方からの乗客の混雑やダイヤの複雑さが災いし、さらに今後控える人口7万人規模の大都市、「芝浦」への延伸に備え、ダイヤを大幅に整備する必要があったのだ。とりわけ、ダイヤの複雑さはゲーム内でも群を抜いていたのだから。

ainan_new.png
その結果がこれである。

以上のことについては、詳しくは開発当時の沼鉄開発記でも見てもらえるとありがたい。停車駅を大幅に削減する代わりに、各駅停車を大幅に増発。準急の快速区間を大幅に追加し、各駅停車の需要を大幅に増やした。初期は本社のあった藪原町南に特急が停車しているが、後に本社が芝浦市内に移転するとともに通過するようになった。

この大規模ダイヤ改正、および芝浦延伸は、ゲームバランス、基社会情勢を大きく混乱させるものとなった。なにせ、ゲームの仕様上、これまででも過密状態だったターミナル、沼津駅がパンク状態になったからだ。

このほかにも地下鉄の増発・延伸が積極的に行われたものの、それだけではこのパンク状態をどうにかできるものではなかった。

ここで白羽の矢が立ったのが、東方電鉄の小鳥町~西板持~真倉(まなくら)を結ぶ「真倉線」である。この路線は元々、末端路線として扱われており、西真倉で系統が分断されていた。周回の貨物列車こそ通っていたものの、旅客は大都市圏にも関わらず旧型車両6両編成(デフォルトが10両編成)が運行されていた。西板持以南は快速列車も運行されていたが、西板持~真倉は「複線ローカル線」と称されるほどであった。

そこに、神社前以西の鉄道を増発する目的で追加されたのが、真倉線を経由する「小鳥特急」「小鳥急行」である。この活躍によって、パンク状態だった沼津駅の混雑改善にもなったほか、東方電鉄の大幅増収へといたったのである。

それでは。

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