この戦いを制したものが、天下への道を開くのだ・・・。

1554年3月。
まず三好と戦うことにした筒井家。
越水城・堺・岸和田城に侵攻する。従属の安見(やすみ)と雑賀衆も三好家に侵攻する。

1554年6月。
越水城・堺・岸和田城を奪い取り、一気に三好を抜く。
そして、台風シーズンになり、何度か撤退を余儀なくされる。
1554年9月
池田家と同盟。安見を臣従。
この頃、鉄砲が1月380砲作れるようになった。一方三好は主要砲産地を失い弱体化するかも。

小寺・別所などを臣従。三好の城をどんどん削っていく。

1555年6月。
三好は洛中を奪われ、ついに石高9位まで転落する。一宮家などすでに三好家を見限った大名も存在し、重臣の庄家、阿波細川家でも謀反の動きが見られる。
そして、織田家を臣従下に治めた六角家、東に領土拡大を目指す毛利家など、戦乱の火が絶えることはなさそうだ・・・
次回「三好、死す」
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